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警察報道番組

By 2020年5月28日 No Comments

2005年から2017年まで、東海テレビで、警察報道番組「追跡!事件ファイル」の特番を10数回、放送した。メインキャスターは、峰竜太さん。

ドラゴンズの大ファンで、長年、スポーツ番組も担当。2004年ごろ、報道とスポーツが合体した生放送「スーパーサタデー」のメイン司会者もされるようになり、おつきあいが始まった。ご意見番は、ジャーナリストの大谷昭宏さん。毎回、コメンテーターに多彩な人材を登用した。

「追跡!事件ファイル」の取材について、先日、あるニュースが流れて、甦った。

1997年に神戸市須磨区で起きた連続児童殺傷事件で、小学6年生だった土師淳(はせじゅん)君(当時11)が亡くなって5月24日で23年。父親の守さん(64)は報道各社に手記を寄せ、「23年も経過したのかという感慨はありますが、私たちの子どもへの思いは変わることはありません」とつづった。 

 守さんは一昨年に解散した「全国犯罪被害者の会」(あすの会)の副代表幹事を長く務め、同会の取り組みを受け継ぐ会(通称つなぐ会)の立ち上げにも参加。被害者支援のあり方を問い続けている。

私は、去年も、この被害者の会を受け継ぐ方々とお会いして、意見交換をした。それは、「事件ファイル」で、こんな取材をしたからである。

1999年8月9日午前8時半ごろ、愛知県西尾市の国道23号バイパスの側道で、地元の高校に通う二年生の永谷英恵さん(16)が血を流して倒れている、と近くの住民から119番通報があった。永谷さんは胸などを刺され、西尾市内の病院で手当てを受けたが、間もなく出血性ショックで死亡した。愛知県警西尾署は、現場付近にいた西尾市内の顔見知りの無職・鈴木康夫(仮名17歳)を殺人未遂容疑で現行犯逮捕した。鈴木は、永谷さんに中学時代から好意を寄せており、「相手にされなかったので殺してやろうと思い、コンビニでナイフ二本を買った」と供述。永谷さんはほかの生徒と一緒に自転車で登校途中だった。

被害にあわれたご両親のご自宅に何度もお邪魔して、お話を伺った。実は、この無職の少年、あの連続児童殺傷事件の少年Aに憧れていたという。峰さんにも現場に行ってもらい、ご両親に対面してもらった。当時の取材台本を少しだけ、転記する

★峰竜太 被害者のご自宅へ 峰竜太インタビュー 被害者の父親

峰竜太 永谷博司さん

「Q:お父さん、事件当日のこと教えてもらえますか」

~娘・英恵が高校2年の夏休み、8月9日、その日は、夏休みの出校日だった・・・私はたまたま、会社が休みで・・・行ってらっしゃいと2度声をかけて・・・それが最後でした・・・

峰竜太 永谷博司さん

「Q:英恵さんは、どうなったのですか」

~少年は2本目のナイフをもっていた。2カ所刺された・・・知らせを聞いて走っていった・・・出血多量・・・病院いったが・・・

殺人罪などに問われた元同級生の無職・鈴木康夫(仮名)18歳の判決公判が、名古屋地裁岡崎支部で開かれ、裁判長は求刑通り懲役5年以上10年以下の不定期刑を言い渡した。さらに鈴木康夫は、18歳未満であれば死刑にならず、成人よりも刑が軽くなることを知った上で殺害を計画したと述べた。

この事件は2000年にストーカー規制法が成立するきっかけの一つになった。

私は、警察報道番組「追跡!事件ファイル」を通じて、多くの被害者の方にお話を伺った。ご家族の想いは今も変わらない。なぜ、犯罪者は生きていて、うちの家族は死んでいるのか。多くの苦悩を語りながら、いかに、このような悲惨な事件をなくすことができるのか、私たちに訴えた。私たちができることは、一体何か。番組を通じて知ってもらうことか。他にも何かできるのではないか。自問自答しながら、時を重ねている。思い出すと胸がつまる。今日はここまでにさせてください。

(プロデューサー 放送作家 早川真)

 

 

 

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