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風水先生 荒俣宏と菅原文太 撮影秘話

By 2020年5月11日 No Comments

7日間ブックカバーチャレンジ、今日で6日目。今回紹介したのは、荒俣宏さんの「風水先生」。

荒俣さんと、実は、2001年に、お仕事ご一緒したことがあります。どんな方なのか。

我々世代では、超有名な帝都物語」シリーズがベストセラー。著作で陰陽道風水を取り上げたことから、それらが広く一般に認知されるきっかけとなった。また、博物学についても関心を持ち、「世界大博物図鑑」シリーズを完成させた。そのほか、神秘学民俗学などにも関心を持ち、特に妖怪研究では水木しげるに師事した。

とまあ、いろいろありますが、私は荒俣さんのご自宅にも行き、奥様ともお会いすることができました。元スッチーの美人の奥様です。さらに、謎の仕事部屋にも行き、撮影もさせていただきました。そこは、平凡社の社屋の中にある、それはそれは凄い場所でした。どんな撮影か。あの菅原文太さんが訪ねるのです。

東海テレビのドキュメンタリー、「2001年夏 風水先生と行く長良川」を制作しました。当時、岐阜県のオークビレッジに住んでいた菅原文太さん。そこに、私は何度も通い、企画、台本の打ち合わせをしました。まあ、さすが、昭和の大スター。なかなか、進みません。「お前が書けなきゃ、深作欣二に書かせる」と。

さて、長良川の源流近くで30メートルの大型クレーンカメラを設置して、荒俣さんと文太さんの撮影が始まりました。「龍がおりてくるの見えますか」。台本にないトークがさく裂します。荒俣さんは、著書の中で、「龍脈」と表現しています。飛騨の山奥から長良川など木曽三川から濃尾平野にかけて、強烈な龍脈が伊勢湾にまで注ぐと。これほどすごい場所は、日本中にふたつとない。その証拠に、戦国時代の英雄が輩出したのだと。一方、文太さんは、「千と千尋の神隠し2001年、東宝)釜爺。として登場している。あのアニメーションは、ハクという少年が元々、川だった、それが龍になると。

とまあ、大変な撮影でしたが、私の35年間の制作人生で、3本の指に入るくらい、印象深いものでした。さらに、最後の編集チェックをしているとき、あの9.11がありました。東海テレビは、また旧社屋でしたが、そこのモニターに映る、あのシーンを、まるで映画のようなシーンをみて茫然としました。親友のディレクターがニューヨークに住んでいたころ、あのビルにも登ったことがありました。さらに、ショックな出来事が。菅原文太さんと荒俣さんのドキュメンタリーが放送される前後だったか、文太さんの息子さん、俳優の長男菅原加織さんを鉄道の踏切事故で亡くされました。撮影しているときも、よく息子さんのお話を聞かせていただいたので…。

菅原文太さん。入院中に高倉健201411月10日没)の死去を知り、『健さん、東映、映画のことは時間を置いて自分で(思いを)書きます』と関係者に伝えていたという。しかし11月28日東京都内の病院で永眠。享年82(満81歳没)。

文太さんの撮影秘話をあげるときりがありません。半年くらい、ずっとご一緒させていただきました。「おい、今、この長良川歩いているところ、ヘリで撮影しろ」。ドローンなんてない時代です。急には無理ですというと、「だからいつも待機させておけっていっただろう」と笑顔で怒られました。後に、そのシーンはヘリで撮影できましたが。ある日は、朝から長良川の支流、吉田川で撮影。子供たちが川で遊んでいるシーンを撮ろうとしたら、だめだ、きょうは帰ると。本当に朝一番から帰ってしまった。我々スタッフが子供たちにこっちに集まってといったことが気に入らなかったようだ。自然にそのまま撮りたかったのだなと。郡上八幡で夕食をご馳走になったとき。文太さんは、おもむろに長財布をとりだし、放り投げて、これで払っとけ、と。まあ、思い出したらいくらでもでてきます。大変だったけど、ハンサムで背がたくて笑顔がよくて、本当に素敵な方でした。

きょうはこのあたりで。また明日。

(放送作家 プロデューサー 早川真)

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