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逆転社長!ソニー出身の魂が「空調服」を生んだ?

By 2020年5月16日 No Comments

新型コロナウイルス感染症。この先、どうなっていくのか?季節は、変わらず、確実に夏へ向かっている。「空調服」。今や、夏の定番になっている。この服、いつ、なぜ、誕生したのか?

開発した社長は、本業が行き詰っていた。外部環境。時代の流れ。会社を起業しても、継続することは難しい。地震、台風、技術革新、取引先倒産、さまざまな要因が、襲ってくる。今回のコロナは、最大級の脅威となってしまった。会社存続が困難になった時、社長はどうすればいいのか?今回の社長、実は、ソニー出身。

(※ネットの記事を以下引用)その社長室には、ソニー創業者の井深大氏とのツーショット写真が飾られている。実は市ヶ谷社長は元ソニーの開発者で、大学も井深氏と同じ早稲田大学理工学部。当時、ブラウン管の検査部門で働いていた市ヶ谷社長は発明大会にブラウン管技術を使った笛を出品。それが井深氏の目に留まったのだ。すると、すぐさま新製品の開発部門に異動。半導体を使って音を合成する楽器の開発に携わった。そしてつくったのが電子ピアノだった。これには盛田昭夫会長(当時)が興味を示し、自宅に招待してくれたという。・・・しかし、1991年、市ヶ谷社長は自分で発明したいものを売ってみたいとソニーを退社。新会社を立ち上げて、ブラウン管の画質を検査する装置の製造・販売を開始した。

さて、逆転社長。今から15年ほど前、まだ無名だった「空調服」の開発者を取材しました。その時の取材台本をご覧ください。

「追跡!ヒットの秘密」(東海テレビ スーパーニュース)

N 見た目は普通の作業服。スイッチを入れるとファンが作動し、服の中に風が流れる。服の中にあるファンから風を送り、汗を蒸発させる。その気化熱で服の中を涼しく保つ。

市ヶ谷社長「▽元を言えば、地球温暖化に歯止めをかけたかった」

N 「空調服」そのヒットの秘密に迫る。

MC 服の中に風を送るという発想、今までになかったですね。その発想はどこから生まれたのでしょうか。実は、まったくの異業種出身。ゆえに、いくつもの壁が立ちはだかりました。

N 埼玉県戸田市にある株式会社「空調服」2004年、ここで画期的な作業服が発明された。その名も社名と同じく「空調服」。一見、普通の作業服。だが、服の背中部分にファンが付いており、スイッチを入れると作動する。ファンから空気を取り込み、全身に充満する。風が体と平行に流れて、中を涼しく保つ。人間は熱くなると汗を出して温度調節する。だが、限界を超えると処理できず、常に汗が出る状態になる。そこで、服の中に空気を通して汗の蒸発を促すことに目を付けた。この原理を思いついたのが、社長の市ヶ谷弘司さん。

市ヶ谷社長「Q思いついたきっかけは?」▽1990年代、仕事の営業で暑さの厳しい東南アジアに行った。人々の生活水準の向上に伴ってクーラーの台数が急増するだろう。エネルギー、環境問題の深刻化は必至だと。

N 効率のよいクーラーを考案すればいい。部屋全体ではなく、暑いと感じている人間の体感温度だけ下げればいいのでは…。

市ヶ谷社長「Q初めのアイデア、水冷式について?」▽クーラー付きの衣服を作ろうと考えた。衣服内部に布を取り入れ、ポンプで水を送り湿らす。ファンを取り付け風を送り、内部を涼しくする方式。

N 1996年開発に着手。フロンガスの気化熱によって、冷たい空気を送り出すクーラー。しかし、環境には悪い。そこで、水を蒸発させ、その気化熱を体に巡らせることはできないか。半年かけ、ようやく完成。予想通りの結果が得られた。さらに、ファンの電池消費量も少ない。しかし、真夏の猛暑にはかなわなかった…。

市ヶ谷社長「Q:水冷式の失敗点?」▽汗をかくと内部が蒸れて、逆効果。汗のことをまったく考えていなかった。

N どうすれば、蒸れを防げるのか…。何度も試着した。市ヶ谷さんは悩んだ…。市ヶ谷さんは、早稲田大学の理工学部を卒業後、1970年、ソニーに入社。製造部に所属し、主にブラウン管の開発に携わっていた。その頃から、常に新しい、世にないものの企画を提案していた。

市ヶ谷社長「Q:ソニー時代について?▽考えた企画を研究したいと名誉会長に直訴した。すると、気に入られ『好きにやっていい』と言われ、開発に奔走した。中には、『ブラウン管を音源にしたピアノやシンセサイザー』など、形にはならなかったが、多数生み出した。時代を先取りしすぎたかな…。」

N ところが、1980年代後半、ソニーはブラウン管事業を縮小。会社に残るか、新しいビジネスを始めるか、岐路に立った。選んだのは大企業からの独立だった。1991年、ブラウン管の測定器を開発する「セフト研究所」を設立。持ち前のパイオニア精神で新型機を開発。

市ヶ谷社長「Q:セフト研究所について?※不安はなかったのか?▽6畳一間からのスタートだった。▽ブラウン管用の測定器というものを開発…※どんなものか、など▽予想に反して、ものすごく儲かった。(なぜ儲かったか、詳しく)」

N 市ヶ谷さんは、1年で2億円程度の利益を生み出した。ところが、ブラウン管の需要はあっという間に縮小。液晶時代へ時は流れていった。会社の経営も一気に苦しくなってきた。

市ヶ谷社長「Q:新たなビジネスについて?▽最初は新型コンピューターなども考え、20~30の特許を申請した。ただ、この分野では大会社にとうてい太刀打ちできない。結局、申請した特許のほとんどを捨てることとなった。」

N そこで目を付けたのが環境問題。需要は見込めると確信していた。

市ヶ谷社長「Q:なぜ、環境問題?▽自分自身はクーラー大好き。でも、大量のエネルギー消費は環境問題を生む。なんとか効率の良いクーラーができないか」

N 水冷式を失敗した市ヶ谷さんは汗に関する研究を始めた。人間は暑くなると脳の指令で汗腺から必要な汗を出し、汗の気化熱で体温をコントロールする。だが、限度を超えると汗は蒸発せず垂れ流しとなる。

市ヶ谷社長「Q:生理クーラー理論について?▽人間には送風する機能が付いていない。扇風機のように体に風を送り、汗を蒸発させ、その気化熱で体を涼しく保とうと考えた。」

N 4つのPC用のファンを作業着に装着し、肩辺りに穴を作り、風を出す仕組みにした。しかし、工場などの蒸し暑い作業場で使用するには風量が足りない。さらに、乾電池駆動なのであっという間にきれてしまう。モーターを買ってきて、ファンを特注で製造。2つのファンでまかなえるようになった。生地は火を使う現場も想定し、燃えにくい素材を揃えた。風は垂直方向ではなく、平行方向に流れるようにした。

市ヶ谷社長「Q:平行方向が良い理由?▽垂直方向に風をあてると、皮膚表面の空気が風圧によってそぎ取られ不快感を与える。風を平行に流し、空気を置き換えることで汗を効率よく蒸発させることができる」

N 均一に風が充満するように、ファンと穴の位置を探った。2002年、試作品ができあがった。とある工場でテストを行った。

市ヶ谷社長「Q:結果は?▽風量を上げたため耐久性に問題があった。半日は持たないと実用化はできない。」

N さらに、ファンに改良を加え、電池も強力なものを使用。半日の壁を克服した。さらに、丸洗いができるように、ファンの取り外しを簡単にできるようにした。2004年ついに完成。長袖や半袖、ワイシャツやブラウスなど作業する環境に合わせて、バリエーションを豊富に取りそろえた。発売以来、注文が殺到。現在までで5万着を販売した。(※2005年当時)

市ヶ谷社長「Q:今後の夢▽地球温暖化が叫ばれている現代。世の中のフロンガスを少しでも減らしたい。この原理を活かしてベットなども開発。空調シリーズで快適に暮らしてもらいたい。」

あれから15年。「空調服」は、誰もが知るヒット商品となった。ソニーの創造的発想が、社長にあったのか、その時は、聞くことができなかった。「人のやらないことをやる」「すぐやる→あとで直す」「創造的少数派に徹する」。井深大さんの残した「ものづくり魂」が、市ヶ谷さんに流れているのか、また、取材する機会があれば、聞いてみたい。では、また、明日。

(放送作家 プロデューサー 早川真)

 

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